優しい未来 (作:和音ゆら)
「美景さーん!!」
日暮れ間近の町外れ。
午後の非番を使って自己鍛錬に来ていた鈴音は、つい先程の戦いで腕に出来た傷の治療の為に傷薬を貰おうと、ぽん太の元へと向っていた。
その時、ぽん太の住む大木へと向かう木々の合間へと足を運ぶ人物――朝倉美景を見つけ、大声で呼びながら傍へと走り寄った。
「こんにちは、鈴音殿。鍛錬の途中ですか?」
「はい、でももうすぐ帰ろうかと思って。その前に、ちょっとぽん太ちゃんに会いに行こうとしてました。美景さんもですか?」
「ええ、最近は式神の事でなかなか来られませんでしたから。今日は暇が出来たので、少し話でもと思って来ました」
鈴音と美景がこうしてぽん太の所へ一緒に向かうことは、実はあまりない。
というのも、二人ともがぽん太の友達である事を知ったのはつい最近の事であり、その時も偶々この道で出会ってからわかったことだったからだ。
お互いとも、ぽん太と知り合ったのは、鍛錬の途中道に迷ってあの大木の根元に出てきてしまった時と知った時は、思わず苦笑し合ったものだが。
二人一緒に顔を見せた時の、ぽん太の嬉しそうな表情は未だに二人の間で話題にあがるほどだ。
「…美景さん、鈴音さん!いらっしゃい!」
「こんにちは、ぽん太」
「元気にしてた?ぽん太ちゃん」
がさり、と草木の揺れる音がした直後、二人の目の前に幼い少年――但し、狸の耳と尻尾付き――が現れ、笑顔で二人を招き入れる。
鈴音の問いかけに「うん!」と大きく頷き、その手の傷に気が付いて直ぐに傷薬を取り出す様は、ぱっと見には人間そのもののようにも見られる。
ぽん太は、魑魅である。
とはいえ人を襲う意志等は全くなく、寧ろ人間との共存を願う類のものだったが、町の誰もがその気持を受け入れてくれるとは考え辛く。
人里離れたこの木の傍を住処とし、受け入れてくれた人を――美景や鈴音と時折交流を深めながら、日々を過ごしていた。
「あのね、美景さん、鈴音さん」
最近の街中での小さな事件や、隊の皆の話などをしている内、ふと首を傾げたぽん太が、二人を見つめてゆっくりと口を開いた。
「あのね、僕ずっと耳と尻尾を消す練習をしてるの。未だ、ちっとも上手く行ってないんだけど。でも、いつか人間そっくりに変化出来たら、美景さんや鈴音さんと町に行って、一緒に町を見たり、いっぱいお話してくれた『白狼隊』の皆と会ってみたいの」
人間と仲良くなりたい。
今も昔も変わらない、たった一つのぽん太の真摯な声に、一瞬詰まってしまった二人が目を見交わす。
白狼隊の皆は、二人が話せばぽん太を受け入れてくれるかもしれない、とは思う。
だが、人間として生きていても、町の中には相容れない、人と人同士の争いが確実にある。
美景や鈴音の住む町は、比較的穏やかな人たちの集まっている場所ではあるが、それでも二年前の魑魅の戦いに於いて家族や親しい人を失ってしまった人たちは居る。
ぽん太が、いくら人を傷つけない事を自分達が知っていたとしても、それを皆が受け入れてくれるかどうかは全くの別問題だった。
「…あ、でも、僕まだ未熟だから…、もっと大きくなって力が強くならないと無理かなぁ。
でも、僕、魑魅だから…。大きくなる前に、美景さんや鈴音さんと、…お別れしちゃうかな…」
しゅん、とうなだれてしまったぽん太の首と尻尾を、ふと優しい手が撫でる感触がして勢い良く顔を上げる。
其処には優しい笑みを浮かべた美景と鈴音が居て、美景が頭を、鈴音が尻尾をふわりと撫で擦っていた。
「気付きますよ、きっと」
優しい笑顔を浮かべたまま、美景がそっと声をかける。
「お別れしても、きっと僕たちは気付きますから。
例え、どれだけ長い年月が経って、僕たちもぽん太も、変わってしまったとしても」
「きっと、美景さんと一緒にぽん太ちゃんを呼んでみせるから。それに、ぽん太ちゃんも私たちを覚えてくれてるなら、直ぐに判るわ。…友達でしょう?」
ね?と問う鈴音に、大きな目を更に見開いたぽん太が、やがてじわりと目に涙を溜めて「うん!」と大きく頷くのを、二人は優しく見守りながら微笑みあった。
――そして、時は流れ。
後に「幕末」と呼ばれた動乱の中。
大政奉還、明治維新、その後の戦争という大きな戦いを経て、江戸――東京は急激な近代化と共に、かつての森や風景があっという間にビルに立ち代り、昔の面影を何一つ残さない街へと変わり果てた。
生き残っていた魑魅も、或る物は地下や他所へ住処を求め、また或る物は闇へ逃れて姿を変え、都会の陰に潜んで溶けていった。
20××年、春。
人々が春の訪れに少しづつ心浮き立たせる中、ある街角の片隅にぼろぼろに汚れた小さな狸の姿があった。
回りの「仲間」があれこれと住処を変える中、ただ一匹森に――この町に住処を残し、必要以上に姿を変える街や人をただ見守ってきた。
以前のように、人に変化する事は殆どなくなっていたが――何分、自分が変化すると着物の青年になってしまい、逆に目立ってしまいかねない――その代わり、長年の訓練の成果で姿形を本物の狸そっくりに変えて暮らしていく事を覚えていた。
人々の記憶から「魑魅」という言葉は消え去り、ただ珍しいという理由から子供や大人に追い回される狸は、時折人の家を仮宿に定める――定めさせられた、という事も多々あるが――事はあったが、その「飼い主」たちも皆、自分が人語を解せる事が判ると、気味悪がって手放そうとするか、或るいは高値をつけて売ろうとするか――そんな反応を示すばかりで。
その日、直前まで居た仮宿から飛び出した路地裏で野良犬に囲まれてしまい、なんとか振り払ったものの、その戦いで体に負った怪我は直ぐに治るようなものではなくて。
傷薬を、とも思うが、森も絶えて久しいこの場所で、薬草を手に入れることは至難の業である事は明白だった。
「…あれ、あそこ、何か居る…、狸??」
こういう時は無理に体を動かすべきではないと身を持って知っている狸が道端でうずくまっていると、ふいに上から聞こえてきた二つの小さな声がやがて直ぐ耳の傍で聞こえ出し、其れで自分の傍に座り込んだという事を知る。
「体に怪我してるみたいだね…犬かな、最近多いし…」
そっと自分を撫でる腕は、最近ではすっかり無かったものであった。
何せ、仮宿では檻の中にいる事が殆どであったし、たった二人、自分を「友達」と言ってくれた人たちから撫でてもらった記憶はあるが、それから既に百年単位の時が流れている。
彼らが生きて傍に居る事はもうあり得ないのだ。
「…あの、連れて帰ってあげてもいいかな、美景」
「…きっとそう言うだろうと思ってた、鈴音」
…あり得ない、筈だった。
耳に響いた懐かしい名前に顔を上げるよりも先、伸ばされた優しい手がぽん太を抱き上げ、するりと頭を撫でた。
「いい子だね…頑張ったね」
優しく頭を撫でる、柔らかい笑顔を浮かべた赤毛の少年と。
「ね、早く片桐センセの所に連れてこうよ。治療してもらわなきゃ」
怪我の比較的少ない尻尾をそぅっと撫で上げながらも、獣医師の下へと急かす言葉を繰り返す、淡い藍に彩られた少女と。
「おいで。一緒に行こう――、」
優しく抱かれたその胸の中、ぽん太の胸に疾うに忘れかけていた言葉がふっと蘇る。
『「例え、どれだけ長い年月が経って、僕たちもぽん太も、変わってしまったとしても」
「きっと、美景さんと一緒にぽん太ちゃんを呼んでみせるから」』
「ねえねえ、名前、何にする?」
「えーと…やっぱり、狸だから…」
「「ぽん太!!」」
未来はきっと此処にある。
優しい夢に彩られた未来が。
<FIN>
- 作者様より -
二周年、おめでとうございますv
一白狼隊ファンとして書かさせて頂きました。
謝ることは沢山御座います…陳謝の限りです;(ぽん太ファンの方とか、後半パラレルとか…etc)
拙いものでは御座いますが、お祝いの品として捧げさせて頂きます!