明鏡止水 (作:シルヴァイン)
江戸から遠く離れた田舎。
白い髪の男がいた。
『明鏡止水』
穏やかに風の吹く田舎村。
妙に賑やかな一家?がいつだったか引っ越してきた。
なんだか全体的に茶色っぽく地味な色合いの男が畑を耕している。
目は人懐っこそうで、爛々と輝いていた。
「また良い野菜が出来ますようにー」
えへへへ、と楽しそうにくわを振る。
「無玄、」
「あ、戮焔さん!何かありましたか?」
無玄に声をかけたのは、術か何かを使ったのだろう、すっかり角を隠してしまった戮焔だった。手には桶と柄杓を持っている。
「鴆影が休憩にしようと言っている。手を休めて中へ入れ。」
? と顔に疑問符を浮かべながら無玄が返す。
「俺まだまだ働けますよ?」
「倒れられて困るのはこっちだ。いいから入るぞ。」
そう真顔で言い返され、しぶしぶ無玄は地にくわを置いて家の中へ入った。
「だからここはもう私が……」
「これで?まだこんなにほこり残ってるじゃない。だから、掃除ってのは上からやるもんなの。」
「生意気なっ……!」
「本当のことじゃない。人にあたらないでよねー」
「や、やめなよランっ……」
はたきで悠嵐に殴りかかろうとする薊、かわしたり受けとめたりしてあしらう悠嵐、
必死で二人を仲直りさせようとする悠霖。
そして……
「うるさい!!掃除ぐらい静かにやれ!!」
汗をぬぐいながら叫んだのはこの家の大黒柱的存在、鴆影。溜息をつきながら戮焔がぼそりといった。
「鴆影……薊と二人を一緒に割り振るのは止めた方がいいんじゃないか……?」
「俺も同じ事を考えたが……役割的に割り振るとどうしてもな……」
鴆影も頭を抱える。
最近ずっとこうだ。薊と双子兄は馬が合わないらしい。
鴆影に怒鳴られておとなしくはなったが、まだ野生動物のように睨み合っている。
おろおろとそれを見守る悠霖。
「戮焔さまぁ…………」
助けて、と目で訴えてくる小動物。はぁ、とまた溜息が出た。
「茶を淹れるぞ。無玄、手伝え。」
「はいー。」
とりあえず茶でも淹れてやれば気が収まるだろうと思った戮焔は、茶と茶菓子を持ってくることにした。
事実これまでもそれで収まっている。
「わ、いい羊羹……戮焔さん、これどうしたんです?」
「ああ…近所の娘に貰った。」
「近所の娘というと……あの気立ての良い長髪の娘か?」
鴆影がそう言ったのに薊が過剰な反応を返す。
「鴆影様!?まさかその娘が……」
「そういう意味に取るな馬鹿。」
真顔で鴆影が返す。
と、羊羹を切りながら無玄があれ?と言った。
「あの娘さんは大将じゃなくて戮焔さんに気があるんじゃないんすか?俺はてっきりそうだと、あいだっ!!」
無玄の後ろ頭に直撃したのは盆だった。向こうの方から戮焔が投げたらしい。
「なにするんすか!」
「余計なことは言うな!!」
「なら別にどうでもいいですわね。」
あっさりと薊は興味をなくしたようで、はやく茶を出せと待っている。
「戮焔、幸せにな。」
「鴆影様、戮焔さんは甲斐性ないから彼女が可哀想だよー。」
「鴆影!お前までそういうことを……悠嵐まで…………」
しかし、冗談が言えるのは良い兆候だ。
最近鴆影はめっきり明るくなった、と戮焔はそれを喜ばしく思っていた。
「はい羊羹切れましたよー十二に切ったから一人二つー。」
「わぁい!いただきます!」
悠霖は甘い物が好物なようで嬉しそうに手を伸ばした。
「皆ご苦労だったな。休憩が終わったら向日葵でも植えようと思うのだが……戮焔新しく役を振ってくれ。」
悠霖に自分の羊羹を一つやって、戮焔は皆に言う。
「じゃあ私と悠霖、悠嵐は鴆影を手伝って花壇の手入れと向日葵を植える作業。」
「了解です。」
「頑張ります!」
「無玄は続けて畑を耕してくれ。」
「はいはーい!お任せあれ!」
「薊は掃除と炊事を頼めるか?」炊事……と渋る薊に鴆影が一言。
「俺は薊の作る夕餉が食べたいのだが……」
「お任せください鴆影様っ!必ず美味しい夕餉を食べさせてさしあげますわ!!」
そうこの男より!とびしりと戮焔を指差した。人を指差してはいけない。
マズイのは嫌だよ、などと悠嵐が言うものだからまた喧嘩になるいつもの二人。
頑張って止めようとする悠霖。なんにもせず傍観しながら茶をすすっている無玄。
戮焔が鴆影に耳打ちをした。
「随分と薊の扱いに慣れたものだな……」
最近なんとなく分かってきた、とやはり真顔で言う鴆影の湯呑の中では、茶柱が立っていた。
“あの”一件の後、贖いの術を暫く考えた挙句、こういう結果に落ちついた。
江戸から遠く離れたこの村に引っ越してきて暮らし、近所の人間ともそこそこ仲良くやっている。
数々の命を奪い、危機にさらし、冒涜した償いとして考えついたのは、自らが命を育てるという事。
野菜や花を一から育てる。それがまず思いついたのだ。
野菜や花は、大風が吹けば倒れるし、冷害でも駄目になる。
立派に育てるのは、非常に難しい事で……
だからこそ、何かを知れると思う、と戮焔が提案したのだ。
新しい地に移り、新しい人間関係もできつつある。
農村は、ゆったりとした空気が流れていて、
そこにいるうちに、最初堅かった自分の表情が和らいで、
心が凪いでゆくのがはっきりとわかった。
安らぎ、自分の過去を誰も知らない新天地……
本当に……自分は早まっていたのだと思う。
もっともっと……自分が知らなければいけない世界はたくさんあった。
それを知らないうちから『無』に還そうなどと、愚かだったと今ならはっきりと言える。
だからあの娘には、そして対を成す二つの治安維持部隊には今、心から感謝していた。
自分を、普通の道へと引きずり戻してくれた、彼らに。
「ありがとう。」
突然鴆影がそう言ったので、みんな何事かと視線を向けた。
「どうしたんすか?大将。なんか悪いもんでも食いました?」
どういう意味だ、と睨む。
「いや……いくら償いがと言っても、こんな所まで連れてきて……させる事は野良仕事……
なのによく手伝ってくれるな……ありがとう。」
「そんなことを言う必要はない。」戮焔が意外だ、という顔で言った。
「提案したのは私だ。それに、こいつらは何も言わなくてもついてきたのだから……」
だって、と悠霖が。
「僕達……鴆影さまが行く所には……」
「どこでもついていきます。だって鴆影様が大好きだから。」
悠霖のいいたかった事を、悠嵐が続けた。
「わ……わたくしだって鴆影様をお慕いしておりますわ!!この気持ち、誰にも負けません!!」
薊が高らかに宣言するのに、無玄が拍手を贈る。
「俺も……大将が望む事は、お手伝いします。でも、前のようにはなりません。
ちゃんと、自分の意志をもって、大将についていきますから。」そしていつものように、緊張感なく笑った。
「……だそうだ。私は、言うまでもない……だからお前が、気に病む必要などない。私達はみな、お前が好きでここにいるのだから。」
「ちょっと!何を偉そうに言ってますの!?私の鴆影様に!!」
「薊……鴆影がいつお前のになった……」
「ずっと前からですわ!」
「ちゃんと考えてから口にだしなよね。」
「まあなんですって!?もう一度言ってごらんなさい!?」
「何度でも言ってあげるよ」「ラン……止めてよー……喧嘩は駄目だよ!」
鴆影は、少しだけ、笑った。
ほら、結局また、いつもの調子に元通り。
「やはり、俺は間違っていた………」
世界を『無』に還す必要などなかった。
裏切られたなどと言って、絶望する必要はなかった。
こんなに、自分のことを思ってくれるものたちが、いたのだから。
気付けなかった、自分が愚かだった、ただそれだけの話だったんだ。
「喧嘩をする元気があるのなら休憩はここで終わりだな。薊、掃除と炊事は頼んだぞ。」
「し……仕方ありませんわね……」
「じゃあ俺は畑に行ってきまーす!!」
「えと……鴆影さま……向日葵を植えるんでしたよね?でも花壇をまず直さないと……」
「僕等は種をとってこようよ。行こう、リン。」「え?ま、待ってよランっ!!」
はぁ、と苦労性なのか戮焔はまた溜息を吐いた。
「では鴆影、私達は花壇を直すとしよう。」
まだ、こんな形の償いしか、出来ないけれど。
「にしても俺、農業の才能あるのかな~?」
それでも毎日を、懸命に、生きてみようと思う。
「お待ちください鴆影様……必ず美味しい煮物を作って……」
毎日命を育て、日々新しい世界を知り、『普通の世界』を学び……
「えっと……これかな………向日葵の種……」
「それは朝顔の種が入ってるだろ。ちゃんと確認しなよリン。」
「あ、ごめん……」
それが、少しでも償いとなるのだと信じて。
「鴆影?どうかしたのか?」
「いや……取りかかるとしよう。」
毎日を、こうして生きている。
そして、こんな普通の毎日は、確かに楽しいものなのだと知った。
――田舎の村に、白い髪の男の一家がありました。
その一家はどこかちぐはぐで……
でも、とても楽しそうでした。
とてもとても、毎日騒がしくて……そして幸せそうでした。
明鏡止水……一点の曇りもない鏡と、静かで澄んでいる水の意から、
心にわだかまりがなく、安らかに落ちついた心境を言うことば。
―――――――――――――――――【明鏡止水】
END.
- 作者様より -
鴆影一味のその後……償いの内容を考えてみました。
短いのでさっくりと読めるのではと思います。無玄が凄く動いてくれました。
償いは何をするんだろうと考えて……なにかこんな感じになりました。
鴆影にはカリスマ(? があって慕ってくれる者たちがいる。
だから大丈夫、何度でもやりなおせる……
そんな感じに考えていたのに知らぬ間に家族化。
鴆影父上に戮焔母上、騒がしい子供達……
彼等の口調が掴めずに苦労いたしました。
多少変でも目を瞑ってやって下さい;
近所の娘は……だれでしょう?
お幸せに、が言わせたかっただけの話です。
それでは。つたない上に短い文ですが、何かあなたの心に残す事ができましたら幸いです。