小春日和 (作:香乃)
冬のある夕暮れ。
幼い少年が二人、川辺の橋の下にいる。二人ともしゃがみこんで何かを囲み、話していた。
『なぁ、この猫、捨て猫かなぁ?』
一人が言う。やんちゃそうで、子供らしい子供、といった風貌だった。
見ると確かに、二人の足元にはやせ細った白い子猫が食べかけだったらしい饅頭にかじり付いていた。
『多分な。……かなり弱ってるみたいだな。』
もう一人が応えた。少し年上のようだったが、その年齢以上に大人びた、落ち着いた物腰だった。
『俺が家に連れて帰るよ。こいつ放っておけないもん。』
やんちゃそうな方が力強く言った。
『……母上は大丈夫なのか?』
大人びた方が少しだけ顔を曇らせて聞く。――どうやら表情の起伏が少ない質らしい。
『いや、まあだいじょぶじゃないけどさ。怒られても、どうにかするよ。うん。』
そう応えてあはは、と乾いた笑い。
そのあとしばらく子猫を撫で回したりしながら、話が続く。そのうち、やんちゃな方が思い出したように言い出した。
『そういえば、こいつの名前どうしよう?』
『そうだな……ミケというのはどうだ?』
『どう見ても三毛猫じゃないだろ』
間髪いれずにつっこみが入る。
『……では何が良いんだ?』
大人びた方が少し不貞腐れたように言った。
『そうだなぁ……』
少年は思案顔で少し黙り込む。そして顔をあげて言った。
『"小春"っていうのはどうだ?今日は小春日和ってやつだったし』
『ずいぶんといい加減な名づけ方だな』
『お前にだけは言われたくねぇ』
――少年たちの観客のいない漫才はしばらく続く。
冬のある夕暮れ。
屋敷への帰宅途中。
――にゃぁ~
その声に何故だか感じる既視感。
「何だ……、こいつ?」
――そいつは待っていたかのように現れて、遠慮なしに人の足にまとわりついた。
小春日和
「――それで」
一通り話を聞いた片桐家当主は第一声をそれで切り出した。場所は片桐家の屋敷の一室の応接間。その膝にはもちろん猫がくつろいでいる。話しながらも猫の背を撫でているあたりはさすがである。接客するときにそれはどーよと思いそうなもんではあるが、まあ相手が相手なのでよしとしよう。
「その猫が離れなかったものだから仕方なく連れ帰ったと、そういうことか」
「――……ああ。」
対するは黒虎隊隊長、槇村一。珍しく眉間にしわを寄せて、さらに珍しいことにはあぐらをかいたその膝にも一匹の白猫が昼寝していた。この猫が現在話題に上っている猫らしい。
「こいつ、本当にお前んとこの猫じゃないんだな?」
念を押すように一が聞く?どうやらそれを聞くためにここに来たらしい。
「ああ、それは間違いない。タマは今ここにいるし、ミケは今昼寝をしているし、タマは今庭に――」
「ちょっと待て。今お前"タマ"って二回言ったぞ?」
「何を言うか、発音が若干異なる」
んなもん分かってたまるかい。
「しかし、道端の猫を拾ってくるとは……、お前も人のことは言えないではないか」
「仕方ないだろ、こいつが離れないんだから。大体お前のは数が異常なんだよ。」
と、膝の上の猫をくしゃくしゃと撫で回しながらそこまで言って、何かに気が付いたようにふっと、顔をあげて回りを見回す。
「………あれ、そういや惣助のやつはどっか行ったのか?猫を連れてきたら、絶対引き取るなって言うと思ってたんだが」
それを聞くと、実時は嘆息して、軽く眉根にしわを寄せた。いつも部下が知らない所で怪我をして帰ってくるときの、あの困り顔だ。
「あいつか………。実は昨日猫の数について話題に上がったのだが、突然『実家に帰らしてもらう』と言って屋敷を飛び出してな」
「どこの夫婦喧嘩だよ、それは……」
もはや一も呆れ、半眼になってあぐらをかいた膝に肘を立てて頬杖までついている。
「まあ、あいつはもともと江戸の出身ではないからな。さすがに本当に実家に帰っているということはあるまい。おそらく美影あたりのところにいるのだろう。
………ところでその猫、もし良かったらうちで引き取るが――」
「いや、そんなことしたら惣助が本当に実家に帰っちまいそうだからやめとけ」
平然と言ってのける実時の言葉を慌ててさえぎった。……思わず立ち上がりかけたため、膝の白猫が危うく落ちかけた。
――で、最終的には白猫は槇村家で引き取られることとなった。
ちなみに……
『それで、その猫の名前はどうするのだ?』
『名前か……、そういえば全く考えてなかったな』
『それでは"クロ"というのはどうだ?』
『どう見ても黒猫じゃねぇだろ』
とかいうやり取りがあったとかなかったとか。
結局その白猫は"小春"と名づけられることとなった。
特にこれといった意味はない。ただ何となく一の頭に思い浮かんだ、というそれだけだった。
そして、この小春が一の日常を想像した以上に騒がしいものにしていくことになる。その兆候は一が小春を引き取ることに決めた翌日からすでに現れ始めた。
「ふぁ~」
町の大通りを巡回中だった一が派手にあくびをした。時は正午。町も活発で一通りが多い時間帯だった。
隣を歩いていた正親が思わず顔をしかめる。
「やぁねぇ、一ちゃんったら。一緒にいる女性に対して失礼よ?昨日ちゃんと寝たの?」
「……仕方ないだろ、昨日"小春"のやつが布団に入ってきてよ……。一緒に寝たもんだからろくに寝返りも打てないし………。――っていうかお前は女性じゃねぇだろ」
どうやら本当に眠いらしい。一番重要なつっこみが最後になった。
そして、先程のつっこみにも言えることなのだが、寝不足というものは人間から思考力を著しく奪ってしまう。一はもう二つほど重要なことに気づいていなかった。
一つは正親にはまだ小春のことを説明していなかったこと。もう一つはなぜだか正親の両目が――ややわざとらしく――うるみ始めたこと。
いつもはもっとすぐに反応されるつっこみをしたにも関わらず、何の反応もない正親に違和感を覚え、ふと隣を歩く正親の顔を覗き込む。そしてようやく、正親の両目が潤んでいることに気が付いた。――しかし気づいたときには大抵もう遅いものである。
そして昼間の、一日で一番人の多い時間帯である大通りにとんでもない叫びが響き渡った。
「ひどいわっ!!私という者がありながら、他の女と"寝た"だなんてっ!!!!!」
両手で顔を覆い、その場に立ち止まりわっと泣き叫びだした。
「なっ、違っ……。お前、誤解を招くようなことを――」
慌てふためく一をよそに、正親の叫びはまだ続く。しかも音量はさらに上がった気がする。
「私のことは遊びだったのね――っ!!!!」
「だぁ――っ!!違うっ!!お前それ以上騒ぐなぁぁぁぁ!!!
おいっ、紫苑!!こいつ、どうにか――」
大通りの一角のとある八百屋にて。
「あのぉ、お侍さん?」
「何だ?」
「さっきから、あそこで叫んでる方、お知り合いでは――」
「知らん」
「え、でも明らかにこっちに向かって――」
「知らん」
「…………そうですか」
後に、とある侍は語る。
『もう慣れた』と。
「――それは災難だったな」
所は再び片桐家。相変わらず膝には猫が乗っかっている片桐家当主は他人事のように平然とした表情で言った。絶対『災難だ』なんて思ってないな、というのが一の見解である。
すでに小春が現れて一週間経っていた。惣助に至っては、美影や舘羽達のところを転々として最近ようやく片桐家に帰って来たらしい。ご苦労なことである。
実時が猫の近況を報告してほしいと言うので、こうして再び片桐家を訪れている。他人の猫でもその安否が気になるらしい。
「災難どころじゃねぇよ。小春が来てから毎日が大騒動だよ」
言いながら膝の上の小春を右手でわしゃわしゃともみくちゃにした。しかし小春はそれすらも心地良いらしい、ゴロゴロとのどを鳴らした。
「お前のところはもとから毎日騒いでいたと思ったが……」
「お前喧嘩売ってんのか?」
「いや、別に。ところでその猫、小春と名づけたのか?」
一の言葉をさらりと流し、あっさりと猫へと話題をかえた。まあいつものやり取りである。何でこいつ俺にだけ神経逆撫でするようなこと言うんだ?他のやつにはやらないだろ?と、よく思う。
「ああ、特別意味は無いけどな。――まさか、タマの方が良かったとか言うんじゃないだろうな?」
「いや、そうではない。昔も猫に小春と名付けたことがあっただろう?やはりお前も人のことは言えないではないか」
実時の言葉に一瞬思考が止まる。
猫?こいつ以外に飼ったことがあったか?昔っていうのは一体どのくらい前なのだろうか?
そんな一の様子を見て、忘れているのだと判断したらしい。実時がさらに続けた。
「覚えていないのか?まあ幼い頃だったから無理もないが……。
昔橋の下で白い子猫に餌をやって、拾ったことがあっただろう?あの時もお前のところで引き取ったはずだが」
言われて、かなり古い記憶をたどる。おそらくはまだ実時と一緒に遊んでいたくらいの、そのくらいかなり古い記憶。
「――あー………そういえば、あった、かもしれない、な。」
記憶の糸をたぐり、ようやくたどり着いた先は、確か冬にしてはやや暖かい日の夕暮れ。八百屋の店主にもらった饅頭を途中までしか食えなかった記憶。
「まったく、本当に忘れていたのか。私が猫に餌をやったりするようになったのもあれからだというのに……」
呆れ顔で実時がぼやく。
しかしその発言の中に気になることが一点。幸い今日の一は睡眠不足ではなかった。
「なぁ、実時?」
「何だ?」
「今の、後半の、『猫に餌をやるようになったのはそれから』って部分。」
「それがどうかしたのか?」
「それ、絶対、特に惣助のやつには言うなよ?」
「どうしてだ?」
「そうしないと辻斬りに遭いそうだからな」
「???」
暗い夜道の背後には気をつけよう。心からそう思う。
片桐家からの帰り道。とは言ってもお互いに屋敷が近いので大した距離ではないのだが。
特に急ぐでもない歩調の一の、少し前を小春がとてとてと歩いている。
猫ってこんなに主人に従う生き物だったっけか?もっと自由奔放で気まぐれなもんだと思っていたが。
地面に長い影ともう一つ小さめの影が伸びるのを見て、ああ夕方なんだなと思う。
「なぁ、小春?」
前を歩いていた影が立ち止まり、くるりと振り返る。
まさかこいつ本当に言葉が分かってるのかな……。
出会った時からずっと頭の奥にひっかかっていた既視感。今日、ようやく説明がつけられる。
「お前もしかしてさぁ、………昔、俺が拾った猫なのか?」
――にゃあ~
いつもよりも鳴き方が元気だった気がする。
「そっか…………。じゃあ、帰ってきたんだな」
――にゃぁ。
毎回返事を返す小春に対してか、それとも猫相手にずっと話しかけて、会話をした気分になっている自分に対してか、知らず知らずのうちに、顔に微笑みが浮かんでいた。
もはや真っ赤になった空を背景に、地面に二つの影が伸びている。
「あっ、あった!これだぁ!」
ところかわって槇村家の蔵。かなり年季の入った木箱を漁っていた一が思い切り立ち上がる。と、
――ごん
「いで」
頭上に出っ張っていた棚に頭をぶつける。
「一ちゃん気を付けなきゃ駄目よ?まあそういうところが可愛くていいんだけど……」
――にゃぁ!
同じように後ろで埃のかぶった麻袋をひっくり返していた正親が振り返って言う。ついでに膨大な物資の山を遊び場にしていた小春も同意する。どうやら結構な時間ここにいたらしい。二人とも埃まみれだった。
「うるっさいなぁ……。それより、ほら!やっと見つかったんだよ、これ!」
と、手にしたものを一人と一匹の前に突きつける。――まあ一匹の方はろくに見ちゃいないが。
一が手にしていたのは緋色の紐。その中央には銀色の鈴がついていて、ようするに首輪だった。
「あら、探してたのってそれ?良かったじゃない」
「ああ。おい小春、ちょっとこっち来い」
――にゃー
とてとてと山から小春下りてくる。
「ほら、昔お前が使ってたやつだよ」
一が小春の首に先程の鈴をつけてやる。
「よし!似合ってるじゃんか」
――にゃ!
――チリン
鈴の音とともに小春が返事をした。
一は満足そうに微笑んで小春の頭を撫でる。
「ねぇ、一ちゃん?」
「ん?何だ?」
不意に声をかけられて正親の方に振り返る。
「小春ちゃんて、一ちゃんが昔飼ってたのが戻ってきたんだって、言ってたわよね?」
「ああ、そうだけど……?」
未だ質問の意図が読めず、困惑気味の一に正親が続けて聞いた。
「前に飼ってたときって、どうして手放しちゃったの?」
「…………へ?」
「………一ちゃん?」
しばらく沈黙が続いた。
「………まさか、覚えてないの?」
確かに、どうして以前に手放してしまったのだろうか?
「……今度、実時のやつに聞いてみるかな」
口の少し下あたりに手をあてて、考え込む。真剣に気になる。
となりで正親が呆れたように嘆息したのが聞こえた。
足元に小春がじゃれついてくる感触を感じながら、しかしなぜか、釈然としないような、すっきりしない感覚で、蔵の後片付けに入ったのだった。
数週間が経つ。
「なあ、実時?」
今回は片桐家ではなく栄屋だった。お互い巡回の昼食休憩で居合わせたのである。ちなみに一はかけそば、実時は月見そばである。
「どうした?珍しく真面目な顔をして。」
「珍しくは余計だ!ってそうじゃなくて。俺が昔飼ってた猫ってさぁ、その後どうなったか覚えてるか?」
聞くと、実時は派手に嘆息して呆れ顔で言った。
「まったく、本当に記憶に無いのだな……。あの猫は衰弱しきっていて、結局すぐに死んでしまっただろう。」
「――っ!」
驚いたあまり、思わずそばを吹き出し――かける。
「汚いぞ」
実時が眉根にしわを寄せる。当然である。
「実時っ、それ本っ当に本当なのか!?」
思わず立ち上がり、机に手をつき身を乗り出して、向かいの実時に詰め寄った。
「何故そこまで動揺する。大体そうでなければ他に何があるというのだ。一度拾った猫を捨てるなど私が許す訳があるまい。」
確かにそういえばそうである。猫好きはその当時からなのかな……。
その言葉でようやく落ち着きを取り戻した一が、再び席に座りなおす。
「そう、だよな……うん。大体猫の寿命って十五年かそこらだもん、な。」
ぼんやりと、実時に対して、というよりは独り言のように呟く。
「そうだろう?どうしたと言うのだ急に?」
だが、実時の声も耳に届いていないらしく、一は何の反応も示さない。
しかし、容姿といい、いちいち一に返事を返すようななつき方といい、それに何より、初めて会ったときから足にじゃれ付いて離れなかったことと言い、違う猫とは――
………小春、お前は一体――?
――ちなみに
『なぁ実時?』
『何だ?』
『何でお前、月見そばの卵だけ最後にとっとくんだ?』
『いや、何となく、な』
とかいう会話があったとかなかったとか。
寒い日が続き、しばらく雪の生活となった。
江戸の町も白一色となり、家々の屋根には雪が積もって、ところによってはそれが凍り付いている家もあった。
が、もちろん寒い日ばかりが続くわけもなく、しばらくすると暖かい日に――それこそ小春日和に――なり、屋根の雪も溶け出す。
――それはもちろん、槇村家の屋敷でも同じこと。
槇村家の朝。
「一ちゃーん、先に行ってるわよぉ」
「だぁ――っ!正親っ、起きてたんなら起こしてくれたっていいだろ!?」
「だって、一ちゃんの寝顔って可愛いんだもの。つい起こしたくなくなっちゃって♪」
「お前はぁぁ!!!また紫苑のやつに怒られるだろ!?」
「あははは♪じゃぁねぇ、行ってきまーす♪」
「こらぁぁぁっ!!」
とか何とか、まあいつも通りの朝である。しかし部下に怒られる上司ってどうなんだろうか?まあ黒虎隊ならではである。
「あぁっ、もう、急がないと………小春、今はそんなじゃれてる時間はないから、ほら、離してくれよ」
玄関で急ぐ一に、しかし今日に限っては小春は一の着物の端をくわえたまま離そうとしなかった。何やら必死そうに見えた。
そのまま歩き出す訳にもいかず、内心では焦りながら、小春に手をのばす。
「小春、本当に急いでんだよ。帰ったらちゃんと相手してやるから――」
――っズガァァァァァン!!!!!
そこまで言いかけたところで背後で、すなわち門のあたりから殺人的な破壊音が響き渡った。
思わず伸ばしかけた手を途中で引っ込め、正親が開けたままにしていた戸の方を振り返る。…………そこには粉々に砕けた氷解と、やや破損した槇村家の門。
――屋根の雪、凍ってたんだな
あまりのことに、ろくに動かない頭でぼんやりと考えた。今日は久しぶりに暖かくなっていた。屋根の雪が解けて落ちてきてもおかしくはない。
「危なかったかもな。な、小春。…………小春?」
視線を戻すと、いつの間にかそこに小春の姿は無く、
――チリン
いつもの鈴の音に慌てて振り返ると、玄関の外に『二本の』白い尾が消えるのが見えた。
「小春っ!?」
先程の出来事も忘れ、急いで駆け出し、門を出て見回した。
しかし――
「―――小春?」
その先に白猫の姿はどこにもなく、ただ無残に砕け散った氷が散らばっているだけだった。
「一ちゃん!?さっきの音、何があったの!?……一ちゃん?一ちゃん、何かあったの?」
破壊音に驚いて戻ってきた正親の声も耳に届かず、一は呆然と、目前の空白をただじっと見つめていた。
「――そんなことがあったんですか?」
ようやく一の話が終わり、美景が第一声をあげた。町を巡回している途中に会い、こうして大通りを一緒に歩いている。
「ああ、ここらへんで正親が騒いだりしてたから知ってるかと思ってたんだけどな」
「まあ、あの時は惣助殿が泊まりにきたりして、立て込んでましたからね」
お互いに苦笑しながら言う。
「あの後実時に話したら、ここのところの妖怪騒ぎで一緒に妖怪化したんじゃないかって言ってたけどな」
「『猫又の恩返し』ですか?小春ちゃん、よっぽど昔のこと恩に思ってたんでしょうね」
「そう、かな?そうだといいな。…………ただ、今どこにいるのかな、ってたまに思うんだよなぁ」
「そうですねぇ……。猫又は人に化ける、と言いますから、案外身近なところで一殿のことを見守ってるかもしれませんよ?」
そう言って笑ってみせる。
「…………だと、いいな」
一も笑い返す。と、その時
――チリン
いつか聞いた鈴の音。
一はふっと立ち止まり、後ろを振り返った。
けれどもその先にいつかの白猫がいる訳でもなく――
「一殿、どうしたんですか?」
「…………いや、何でもない。今行く」
――ただいつもの行きつけの茶屋の女が店先で水まきをしているだけで、特に気に留めるでもなく、美景に追いつくべく再び前を向いて歩き出した。