3rd Anniversery

小さき花の詩 (作:石川和久)

 背中に衝撃を感じて、初めて自分が倒れていることに気付いた。
 体が重い。
 起き上がろうとしても、手にも足にも力が入らなかった。

 僕は……一体……。

 真上に見える天井から少し視線を降ろすと、見慣れた顔が自分を見下ろしているのが見えた。

 セレス……様……。

 セレスタンの手に握られた剣は鮮血で染まり、その血は彼の全身にも飛び散っていた。

 ああ……そうか……僕は…………。

 彼の姿を見て、ようやく状況を理解する。
 結局、自分の刃は彼には届かなかった。そして、彼の剣は、自分を確実に貫いたのだ。そう気付いた途端、焼け付くような痛みが胸から全身へ広がってゆく。
 強い吐き気と共に、傷口から次第に熱が奪われていくようだ。眠気とは違った倦怠感がゆっくりと全身を這い回り、僅かに残る意識を食い付くしていく。
「…………ベル!」
 叫び声が聞こえる。
 ベルナールの意識はそこで途絶えた。

 ・

「忘れ物はない?セドリック」
「うん……大丈夫」
「ほら、時計もちゃんと持って……」
 沈んだ声色で問い掛けてくる母に対して、セドリックは何時もの様に答えを返した。母の隣には、まだ幼い弟がじっとセドリックを見つめている。
 恐らく、事態がよく飲み込めないのだろう。母とセドリックを交互に見つめ、小さな目がクルクルと動いていた。
「兄ちゃん、どこいくの?」
「軍だよ、お兄ちゃんは兵隊になるのさ」
「いつ帰ってくるの?」
「それは……ね……」
 母にもセドリックにも、それはわからない。常に燻り続ける対外戦争論が本格化すれば、兵士は捨て駒のように戦場へ投げ落とされる。
 たがこの国で、貧しい者が食べていくには、軍に入る事が最も手っ取り早いのだ。少なくとも、食事と寝床は確保できる。家族には僅かながらも給金を送ることが出来る。
 一部の特権階級のみが国家の恩恵を享受し、その他の民は毎日の生活さえままならない。そんな歪なこの国で生きていくのに、手段など選んではいられない。体の弱い弟ももしかしたら医者に診せられるようになるかもしれないのだ。
「じゃあ……いってきます」
 古く軋む部屋の扉を開け、セドリックは我が家を後にした。

 ・

 軍に入ったセドリックは、弓兵としての道を選んだ。何の事はない、人の死に一番遠い気がしたからだ。
 剣や槍に比べ、弓は射程距離が長い。200程度距離が離れた場所からでも、相手に致命傷を与える威力を持っているからだ。
 だが、弓を持っている以上、それが人の命を奪う道具であることに違いはなかった。
 幸か不幸か、セドリックは魔法の才能を持っていた。
 全てを癒す水の魔法と、敵を射殺す弓の才能、相反する二つの才能を持っていたことが、後の自身の運命を大きく左右することになるとはセドリックは思ってもいなかった。
 ある日の昼休み、セドリックは隊の相棒と二人、のんびりと花を眺めていた。分隊の纏め役になっているこの若者は、なかなか隊に馴染めなかったセドリックの事を気に掛け、隊の仲間との間を取り持ってくれたりと非常に世話好きだ。今日も一人花を見ていたセドリックの横に座り込むと、あれやこれやと話題を振ってくる。
「お前、何で弓兵になったんだよ?」
「…………得意だったから?」
「何で疑問計なんだよ!……でも、弓は武術の基本だし、お前、兵士に向いてるのかもな。剣とか槍も鍛えれば、出世できるんじゃねぇの?」
「戦いは……好きじゃないから」
 ポツリと呟いたセドリックの声に、相棒は答えを返さぬままじっと前を見つめている。
 どれ程時が経っただろうか、不意に相棒が口を開いた。
「……この花、お前が世話してんだろ?」
「うん……」
「なんて花だ?」
「……ヒナギク」
「そっか、ヒナギクか……」
「うん……ヒナギク……この花の、花言葉は…………」
 セドリックが諜報員として敵国に派遣される事が決まったのは、それから一週間後だった。

 ・

「いや~、最近は若い志願兵が多くてね。君なんかうちの息子と変わらん位だなぁ」
「はぁ……」
「いや、国を守ろうという志を持った若者が増えているというのは素晴らしいんだかね」
「はぁ……」
 話し好きの人事担当兵は、セドリックを兵舎に案内しながらひたすらに喋り続けた。息子が兵隊になると宣言し困っていること、出来れば上級学校に進学して欲しい事、物分かりの悪い上官の話、最近のスプリング王国がきな臭いという噂…………適当に返事をしながら、セドリックは初めて見る風景にじっと目を凝らしていた。
 人々も、花も、スプリングとはまるで違う表情を見せてくれる。民は生き生きとして、軍人も民衆を威圧することもない。

 ここがミュスカデルか……。

 ぼんやりとセドリックが思いを馳せていると、不意に前を行く男が足を止めた。
「お~い、フォルテュナ!ちょっと来てくれ」
 見ると、オレンジの髪をした若者が向こうから近づいてくる。フォルテュナと呼ばれた若者がやってくると、男はセドリックを指し示し口を開く。
「こいつ新入りなんだがな、ちょっとお前案内してくれるか?」
「ああ、いいっすよ」
「すまんな、じゃあ頼むわ」
 男は足早にその場を立ち去り、セドリックとフォルテュナと呼ばれた若者だけがその場に残される。フォルテュナは人懐こそうな笑みを浮かべると、セドリックに対して口を開いた。
「俺はフォルテュナ、槍兵隊に所属してんだ。よろしくな!」
「……よろしく」
「で、お前の名前は?」
 セドリックは迷うことなく自分の名を告げた。
「……ベルナール。僕の名前は……ベルナールだよ」
 一切表情を変えることなく『ベルナール』はそう口を開いた。
 にぎやかに口を開きながら、フォルテュナはベルナールを案内した。どことなく相棒に似た空気を持つこの若者の話を聞きながら、兵舎の中を巡っていく。食堂に訓練場、宿舎……裏庭に差し掛かったとき、ベルナールの目にとある光景が広がった。
 雑草が生い茂り、草が茫々としている空間。恐らく以前は花壇と呼ばれたのであろうその場所が、ベルナールには妙に悲しかった。
「ああ、そこの花壇か?昔は世話してた奴も居たんだけど、今じゃ荒れ放題さ。誰も世話しねぇからな」
「……そう」
「なんなら、お前が好きにしてもいいんだぜ。どうせ誰も気にしてないんだし」
「……うん、そうだね」
 それから、訓練後に裏庭で花壇の手入れをするベルナールの姿を見ることが出来た。
 始めは見ているだけだったフォルテュナも次第に見てられなくなり、一週間後、新しい花壇が完成した。

 ・

 その日も、ベルナールは一人、花壇に水をやっていた。株分けしたヒナギクは見事に咲き誇り、ベルナールの心を和ませてくれる。
 その時、ふと背後に気配を感じた。
「…………」
 知っている人間の気ではない。
 この軍に居る者ならば、背後に立たれても誰かぐらいはすぐに分る。殺気は感じないが、一体……。
「何を育てているの?」
 穏やかな声が聞こえてきた。どことなくのんびりとした、おっとりとした声だ。
 振り向くと、見慣れぬ少年がこちらをじっと見つめている。
「……ヒナギク……」
「綺麗な花だね」
「うん……凄く、好き……」
 少年はただ黙ってヒナギクの花を見つめている。
 口数が多くないのか、それとも本当に花が好きなのか、ベルナールには判断できなかったが、戦時中にも拘らず、花の良さに気付くことができる人は、本当に少ない。
「この花の、花言葉は…………」
 少年の名はリュヌといった。フォルテュナに連れられてきた少女はコレットというらしい。
 二人は村を焼け出され、ここまで逃げてきたのだ。
 そうして、ベルナールの母国と、スプリングと戦う決意をしたのだ。自分達は心が引き裂かれそうな思いをしてきたのに、彼らはどことなく穏やかで、時折笑顔さえ見せてくる。
 ただ、その心の奥底には、深い悲しみの奔流が渦を巻いているのを、ベルナールは感じ取ることが出来る。 何が正しくて、何が間違っているのか。

 僕は、一体何をしているのだろう……。

「私ね、ベルみたいになりたいと思ったの。大好きな人たちを守れるようにって」
 自分の様に人々を癒したい。そう言ったコレットは、最近魔法の特訓を始めた。自分が何をしてきたのか、今尚何をしているのかを知ったら、彼女はなんと思うだろうか。
 フォルテュナもリュヌも、一体どうするのだろう。
 今まで感じたことのなかった居心地の良さをこの国に感じてしまう。皆を率いるセレスタンは民のことを第一に考える優れたリーダーであるし、兵を駒の様に扱うことの多いスプリングの将軍達と違って、将は将たる心得を誰よりも心に誓っている。
「……ありがとう。僕も……みんなの事大好きだよ……」
 それは紛れもない本心から出た言葉で、自然とベルナールの顔に笑みが零れた。

 ・

「僕も……ここで死ぬわけにはいきません……」
  自分のことを見つめるセレスタンの瞳は、悲しく揺れていた。全て分っていて尚、この人は自分を部屋に招きいれたのだ。
  最期まで、自分のことを信じようとしてくれた。でも……、
「……だから、貴方を殺して……スプリングに帰る……それだけです!」
  全身の力を込めて、セレスタンに向かって突進する。
  セレスタンの剣が放たれた、そこから、ベルナールの記憶は途絶えた。

 ・

「ベル、しっかりしろ!!ベル!」
  目の前に、見慣れた相棒の顔がある。口を開いたが、言葉を発することは出来なかった。
「……っ……」
「セレス様、どうして!?」
 滅多に大声を出すことのないリュヌが、セレスに向かって声を上げる。
 セレス様は悪くない。悪いのは……。
「ベル……どうしてベルがこんなことに……」
 瞳一杯に涙を溜めたコレットが、今にも泣き出しそうな声で言葉を発する。
「……優しく……しないで……」
 そう、自分は心配なんかされるべきじゃない。
「えっ?」
「ぼ……僕には……そんな資格……ないから……」
 フォルテュナもリュヌもコレットも、涙を必死にこらえているようだ。
 憎むべき裏切り者だった、自分のために。
「僕がここで頑張ることが……スプリングの為になると思った……スプリングの……母さんや……弟のために……だ……だけど……こっちで暮している内に……何が正しいことのか……段々……解からなくなって……」
「そんな……それじゃあ、お前、本当に……」
「セレス様っ!ベルを助けられないんですか!?」
 ……何で、君達はそんなに優しいのだろう。裏切り者だった僕のために。
 どうしてこんなにも……。
「……っ……畜生!!」
「フォル……テュナ……、そんな顔……しないで…………僕は……裏切り者……なんだよ…………君が……辛い顔すること……ない…………」
 不意に、ぬくもりを失った手が、ぼんやりと暖かくなる。
 リュヌが、そっとベルナールの手を握り締めていた。暖かい手の感触と、涙を流しながら自分を見つめるリュヌの眼差しが、ベルナールをそっと包み込んでいく。
「あ……ありがとう……リュヌ…………」

 ありがとう。
 本当に、ありがとう。
 ……そして、ごめんね。

「……ベル、一つだけ、私から君に言いたいことがある」
「……?」
「君の弓術は……本当に素晴らしかった。今まで私達に力を貸してくれたこと……心から感謝しているよ」
 どうして皆、本当に優しいのだろう。
 皆を裏切った僕のためにどうして涙してくれるのだろう。
 どうして………………。
「セレス様…………。ごめんなさい……セレス様…………ごめん……なさ…………」
 もう言葉を発する事は出来なかった。
 目の前が色を失い、次第に暗くなっていく。
 暖かさがなくなり、次第に寒く深い場所へ堕ちて行く様だ。
「……ベル!」
 感じるのは、自分を呼ぶ声と、握られた手の暖かさだけ。
 それ以外は暗く、そして寒い。

 ごめんなさい。
 ありがとう。
 この声は、届いているだろうか。
 本当に……ありが……と…………。

 闇が、体を包み込んでいく。
 視界が完全に黒く染まり、次の瞬間、全ての音が、消えた。


- 作者様より -
 毎回毎回ギリギリで申し訳ありません。
 他の方とネタが激しく被っている気がします
 が、読んでいただければ幸いです。


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