2nd Anniversery

耐えられぬ事限りなし (作:石川和久)

 手にひんやりとしたものを感じて、少女は思わず空を見上げた。
「うわぁ……」
「雪、ですね」
 空から舞い降りる小さな雪の粒が風に揺れ、ふわふわと漂っている。
 少女の隣に立つ少年は軽くため息を吐くと、曖昧な笑みを浮かべながら言葉を発した。
「……これから寒くなりますね」
「美景さん、寒いのは苦手なんですか?」
 美景と呼ばれた少年――常陸朝倉家が次男、朝倉美景は考えるように空に目をやりながら、やがてゆっくりとした口調でその問いに答える。
「……うーん、苦手……と言うほどではありませんが、あまり得意ではありませんね……鈴音殿はどうですか?」
「私もそんな感じですね……」
 鈴音と呼ばれた少女――山形家が一応の長女、山形鈴音もまた、美景に倣うようにして空を見上げた。
 まだ初雪なので積もる事はないだろうが、それでも冬の足音が迫ってくることが感じられる。また一年、こうして過ぎて行くのだ。
 そう物思いに耽っていた鈴音の耳に、大きなくしゃみの音が響いた。
「ふぇ……っくしょん!」
 後ろを見るに、鈴音より幼く見える少年が、鼻を啜りながら軽く震えている。
「美景~……鈴音~……雪なんか見てないで、早く行こうぜ~……」
「ご、ごめん、由紀彦くん! ……大丈夫?」
 寒そうに震えている少年――高田由紀彦は、明らかに体調が悪そうだ。
 いつもは元気一杯な由紀彦が体調が悪いというのは、些か珍しい。
「急いで屯所に向かいましょう」
「はい、そうですね」
 このままでは、由紀彦は確実に風邪をひくだろう。一行は、早足で屯所への道を急いだのであった。

 ・

「……以上だ。他に何かあるものはいるか?」
 白狼隊長片桐実時は一同をぐるりと見回した。
「なければ…………ふぇっくしょん!」
 締めの言葉を隊長が述べようとした途端、大きなくしゃみがその口から飛び出る。
「だ、大丈夫ですか?」
「……平気だ」
 隊長は短く言葉を返すと、さっさと会議を切り上げ奥に引っ込んでしまった。
 それと同時に、隊の兄貴分であり母のような存在である坂上惣助も足早に部屋を出ていく。
 残された隊士達は一瞬呆気に取られていたようだが、やがて動きを取り戻した。
「どうしたんでしょうか? 二人とも……」
「さぁ、寝不足だったんじゃないかな、隊長殿は」
 鈴音の声に答えたのは、金髪が朝日に眩しい中川館羽である。
「実時殿はそうだとしても……惣助殿はどうしたんでしょうね?」
 隊の副長、長谷部廉次郎も怪訝そうに眉を潜めた。
「そういえば……惣助殿、昨日は屯所に泊まったみたいですよね?」
 美景の言葉に、一同の視線がある人物に集中する。
 惣助が片桐邸に居候していることは皆が知っている。自然と、視線が由紀彦に向かって集まった。
「ははは、いや……その……」
 助けを求めるように辺りを見回すが、援軍を申し出る者はいない。
 全員の無言の圧力を感じて、由紀彦は渋々事の顛末を話し始めた。

 ・

 きっかけは単純な事だった。
 その日に限って、片桐家の家事一切を取り仕切る惣助が寝坊したのだ。
 その日は、悪い偶然が重なった。
 前日の夜中に大捕物があったため、惣助が片桐家に帰り着いたのは夜半を過ぎていた。
 実時や由紀彦はそのまま眠る事が出来たのだが、家事を取り仕切る惣助はそうもいかない。
 朝食の仕込みをし、洗濯物を片付け、おまけにその日は冷え込みが激しく暖をとる準備をする必要もあったのである。
 結局、惣助が眠りについたのは明け方近くになってからであった。
 寝坊した事がわかり惣助は一瞬焦ったが、直ぐ様気を取り直した。
 朝食の仕込みは終わっている。手早く二人を起こして準備に取り掛かれば、出勤には十分間に合うだろう。
 惣助はそう判断して動き始めたのだか、さらなる予期せぬ事態が惣助を襲った。
「惣助兄ぃ……」
 台所に由紀彦が姿を見せる。
「おう、少し待ってろ、由紀彦。今準備して……」
 惣助はてっきり、由紀彦が朝飯の催促に来たと考えた。
 しかし、由紀彦は中々立ち去らず、忙しく動き回る惣助の様子を窺うように見ている。
「……どうした?」
「これ……」
 由紀彦の手に握られている袴を見て、惣助は一瞬目を見開いた。
「穴開いてるじゃねえか」
「……うん」
「……ったく、縫いもんは前の日の夜に出せっていつも言ってんだろ?」
 文句を言いながらも、惣助は裁縫道具を取り出し、袴の修復を始めた。
 時間が迫ってきているが、まさか穴空きのまま外に出す訳にもいかない。
 手早く作業をこなす惣助の元に、今度は実時がやってきた。
「惣助、朝飯はどうした?」
「ああ、今これが終わったら作るから少し待って……」
「いや、我々のではなく、タマ達のだ」
「……は?」
 思いも依らぬ言葉に、惣助は一瞬固まった。
 そんな惣助に気付かぬように実時は言葉を続ける。
「このままではタマ達が腹を空かせて可哀想だ。我々は会議の後『栄屋』で食べても構わないが、タマ達はそうはいかぬのでな」
 こいつは人の作る飯をなんだと思ってんだ……。
 仕事づくめで疲労している惣助の心に、ふつふつと怒りが沸き上がってくる。
「惣助兄ぃ、出来た~?」
「惣助、早くタマ達の飯を……」
「お前ら……」
 惣助がゆらりと立ち上がった。
 その気迫に押されて思わず二人が黙り込む。
「いい加減にしろ!!」
 こうして、片桐家の言わば別居状態は始まったのである。

 ・

「ははは……なんだが、夫婦喧嘩のようだねぇ」
 話を聞いた館羽が笑いながら言う。
「笑い事じゃないよ! 館羽兄ぃ。惣助兄ぃじゃないと家の中のこと全然わかんないんだ」
「もしかして、暖房や毛布も……」
 廉次郎の言葉に、由紀彦は小さく頷いた。
「昼と夜は外で食べるからなんとかなるけど、朝はまだ店が準備中でここ二日食べてないし、夜は寒いし……」
 由紀彦が鼻を啜りながら言う。
 昨日今日は今年一番の冷え込みだった。風邪をひくのも当然だろう。
「……そういえば、動物の餌はどうしてるの?」
 美景の問い掛けに、由紀彦は口を尖らせた。
「それが実時兄ぃ、餌だけはちゃんと用意するんだ。俺たちの飯は作らないくせに……」
 さすが隊長。
 鈴音は妙な所で感心していた。
 これで疑問は解けた。
 寒さと空腹、それから寝不足。隊長が機嫌が悪いのも頷ける。
 鈴音が黙って頷いていると、今度は隣室から大きな声が響いてきた。
「……だから、悪かったと言っているだろう」
「お前、全然反省してないだろ!」
 どうやら隊長と惣助が言い争っているらしい。
 隊士達はこっそりと声が聞こえる場所まで移動した。
「私の言い方が悪かった。だから、帰ってきてタマ達に餌をやってくれ。私の餌では気に入らないらしいのだ……」
「だからっ…………はぁ……もういい」
 脱力したような惣助のため息が聞こえる。
 多分、惣助さんはしばらく戻らないだろうな。
 鈴音は苦笑しながら、山形家に毛布と薪の予備がどれだけ有ったかを考え始めていた。


- 作者様より -
 またもやギリギリで申し訳ありません。
 コンセプトは前回よりも短く! です。
 ほのぼのとした日常の一コマを描こうと挑戦いたしました。
 少しでも楽しんでいただければ幸いです。


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